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錦織圭選手の大活躍の裏で解説などで活躍していた「松岡修造」さんが再びメディアなどでの露出を増やして話題になっていますね!

 

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特に最近では、「まいにち、修造!」というカレンダーの売れ行きが好調なようで、販売開始5カ月で累計発行部数が50万部に達したそうです!

 

(一部の内容紹介)

・自分を持ちたいなら、サバになれ!
・わがままでなく、あるがままに
・崖っぷち、だーい好き
・後ろを見るな!前も見るな!今を見ろ! ほか

 

んーちょっと意味不明な言葉もありますけど、活力に溢れた毎日を送れそうですね!笑

 

 

今回はそんな松岡修造さんに関して、

 

  • 松岡修造の身長、体重、高校は?
  • 家族が偉大すぎる!?
  • プロ転向後の壮絶な日々とは!?

といった疑問にお答えしていきたいと思います。

 

松岡修造のプロフィール

 

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  • 本名:松岡修造
  • 身長:188cm
  • 体重: 85kg
  • 生年月日:1967年11月6日(47歳)
  • 血液型:AB型
  • 出身地:東京都
  • 高校:慶應義塾高校⇒柳川高等学校
  • 活動:スポーツキャスター、タレント

 

松岡修造さんは身長が188cmもあるんですね!はじめて知りました!

松岡修造さんと言えば『テニス』が切っても切り離せないキーワードです。

8歳の時に本格的にテニスを開始し、

中学2年生の時に、全国中学校テニス選手権優勝、

高校2年生の時には、全日本ジュニアランク1位の太田茂を破り優勝しています。

その後、19歳でプロに転向し、ATPランキングで最高46位を獲得し、

その後結婚し引退しています。

 

 

松岡修造の家族が偉大すぎる!?

 

こちらが松岡修造さんの家族構成です。

 

高祖父      :松岡修造 (実業家:松岡汽船[注 2]創業者)
曾祖父      :松岡潤吉 (実業家/政治家:松岡汽船創業者社長,元貴族院議員)
曾祖父      :小林一三 (実業家/政治家:阪急東宝グループ創業者)
曾祖叔父     :田邊七六 (政治家:元衆議院議員)
曾祖叔父     :田邊宗英 (実業家:第4代後楽園スタヂアム社長)
祖父       :松岡辰郎 (実業家:元松岡汽船社長,第9代東宝社長)
義祖父      :小林米三 (実業家:元阪急電鉄社長)
従祖叔父     :田邊圀男 (政治家:第31代総理府総務長官,第12代沖縄開発庁長官,第3代山梨県知事)
父        :松岡功 (テニス選手/実業家:元デビスカップ日本代表,第11代東宝社長)
母        :千波静 (元宝塚歌劇団星組男役:本名:松岡葆子(旧名:静子),宝塚歌劇団卒業生)
妻        :田口恵美子 (アナウンサー)
兄        :松岡宏泰 (実業家:東宝東和社長)
義兄       :辻芳樹 (辻調理師専門学校校長)
義伯父      :三村庸平 (実業家:元三菱商事社長・会長)
義伯父      :三村亮平(実業家:阪急不動産副社長)
義伯父      :小林公平(実業家:元阪急電鉄社長・会長)
従叔父      :鳥井信一郎(実業家:元サントリー社長・会長)
従兄       :小林公一(実業家:阪急阪神ホールディングス取締役,宝塚歌劇団理事長)

Wikipediaより引用

 

すべての方の肩書きがやばすぎます。

三菱商事の社長から、阪急電鉄の社長まで、

家族に一人いるだけでも「すごい」と言われる人が何人もいますね。

 

しかし、ビジネス界で大きな成功を収めた実業家の方は多いのですが、

スポーツで成功を収めたという人はいませんね。

 

そのためか、松岡修造さんが慶應義塾幼稚舎・慶應義塾中等部、

慶應義塾高等学校と進学後、テニスの道を究めるため、

テニスの名門である柳川高等学校に編入したいといった際には家族の猛反対があったようです。

 

あの情熱は実業家の方々のエネルギーから来ていたのかもしれませんね。

しかし、生まれつき運動神経が良かったとはなかなk言えないようなので、

そうとうな努力があったことが伺えます。

 

 

プロ転向後の壮絶な日々とは!?

 

父からはプロ転向に際し一切の援助は行わないと条件を付けられており、松岡はまず金銭の工面に苦労する事となった。

 

当初は貧窮に堪えながら世界中を転戦した。ホテルの朝食に出たクロワッサンを隣のテーブルから盗んで食べたこともあったという。

 

宿泊するのは3流以下の安モーテルの一室で、更にそれを知り合った外国人選手と折半。ランキングが下の松岡はいつも汚い床の上で寝た。

 

Wikipediaより引用

 

実業家の家系で資金面が豊富だったのかと思っていましたがそうではなかったようですね。

 

さらに、1989年には、ヒザを痛め2度にわたり手術、

厳しいリハビリの末にツアーに復帰を果たすが、

1990年のセイコースーパーテニスでは足首の靭帯を損傷してしまいます。

 

そのときの怪我は、左足首の3本の靭帯全てを断裂するという大怪我で、

選手生命さえ危ぶまれました。

 

 

不屈の精神で立ち上がった松岡修造が一生懸命応援する理由。

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松岡修造さんは、夢の実現は、自分1人の力でなし得たことではないことの例として、

1995年のウィンブルドン3回戦を振り返っています。

 

外国人ばかりの観客席から日本語で

 

「修造!自分を信じていけ!」

 

と応援が聞こえてきたそうです。

 

修造さんにとって、『応援することで人を成功させることができる。』

そう感じた瞬間だったといいます。

 

『ポジティブ』『アツい』といったイメージの松岡修造さんですが、

実は、かなり「消極的」で「弱い」人間だと自分ではいいます。

 

これまでは自分を自分で奮い立たせてきたそうです。

現在、いろんな人を応援しているのは、

 

誰かを応援してすることで、

自分も頑張っていこうと思える。

 

からだそうです。

 

辛い過去を乗り越えてきた修造さんだからこそ、

言葉の一つ一つに重さを感じるのだなあと改めて感じました。

 

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最後まで読んでいただきありがとうございました!